震災と、音楽と。~震災から半年後の記事より。

Byイチハラカヨコ

※昨年9月に書いたものなんですが、
自分の音楽に対する考え方そのまんまなので、
新しいところにアップしてみました。


早いもので、震災から半年が経ちました。


地震の直後からしばらくの間、
世の中は歌や娯楽どころではなくなり、

音楽にたずさわる人間の一人としては、その無力さというか、
こういう時、本当に何の役にも立たないな~…と、当時は思ったものでした。


『こんな時に娯楽なんて』という気運の中、
ゴスナイ、予定通りできるのかという事が頭をかすめたこともありました。

しかし時間が経って

今では多くのアーティストさんが被災地で、または離れた場所からもエールをと、
音楽を奏でています。

私の所には歌いたいという多くの生徒さんが集まりました。


人間、音楽が無くても生きてはいける。
でも、音楽が持つ力は絶大で、本当に『無くても生きていける』のか?と問いたくなります。

時に心を落ち着かせ、
時には疲れ果て動かなくなった心を揺り動かし、
時には生きる希望になったり、道しるべになったりもする。

思えばゴスペルも迫害の中から生まれた歌ですし、
スティールドラムのように、
禁止されたがために楽器じゃないものを楽器に変身させてしまったものまであります。


何故、そうまでして『歌』なのか。『音楽』なのか。


まるで、即物的に必要とか不必要とか、
そうではない所に最も大事なものはあるんだと、教えてくれているようです。


私のやっているゴスペルはあくまで音楽として楽しむことが目的ですし、
(大手音楽教室ですからね(^^ゞ)
別にクリスチャンなわけではありませんが、


音楽ってものが空のてっぺんとつながっているというか、
『天恵』であるってことについては固く信じています。
信じていますと言うより、『知って』います。


一人の素晴らしい歌や演奏に感動することもあれば、


例えば大勢で歌う時、演奏する時。


どんなに達者な演奏者が集まっても、
てんでバラバラな事をやれば不協和音になったり雑音にもなるし、

土台になるリズムやベースラインが整ってなければ、
メロディラインがどんなに綺麗でも破綻してしまいます。

一方、一人ひとりの声が小さくても多少へたっぴでも、
多くの声が合わさり、重なり合うことで、
想像以上の力で人の心を揺り動かすことだってあります。


これ、正に人間の事じゃないですか?


音楽の中で起こることは、
人間が生きる中で起こること。
それをとてもわかりやすく教えてくれるモデルなんだと、いつも思うんです。

だからね、クラシックだとかゴスペルだとか大衆の音楽だとか、
ジャンル分けなんかハッキリ言って関係ないんですよ。
世の中の曲全部、みんな意味があって意図があって生まれてきてるんですから。

ゴスペルだけが特別な神様の歌なわけではないですから。


…って、なんか震災の話から遠くに飛んでっちゃったな(笑)…


被災地は、未だ厳しい状況が続いていますし、
音楽など受け入れられる状況にない…という方も、中にはいらっしゃるかも知れません。

それでも、『こんな時なのに』ではなく『こんな時だからこそ』歌で勇気を、元気を…という流れが生まれるのは、むしろ自然なことだったんだと今では思います。


ゴスナイのラスト、震災に寄せ会場全体で『上を向いて歩こう』を歌いました。


直接的に何かできるわけではないけれど。

人が立ち上がるためには、今何を持ってるかよりも、
根っこの気持ちやモチベーションの方が大事だったりしますから。


まだ続く長い戦いの中、音楽が一人でも多くの助けになることを切に願います。
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